Tweetした呟きが2000Tweetsを越えましたので-
新しいものから古いものへと映画に関係したTweetを選択・再録していきます。
どうぞよろしく。
printempshunseiこと春声@
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printempshunseiこと春声@
@kuninori55 Volksbuch(文藝学)民衆(大衆)本。(中世の叙事詩・伝説などに基づき15,6世紀に民衆向きに散文で書かれ流布した文学。<参考>リヒヤルト・シュトラウス(独)に交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」作品28が。以上呟きのみ(役に立たず?)。
posted at 18:40:35
@kuninori55 インターネット検索とドイツ語辞書で以下関連した言葉のみ:Till Eulenspiegel (固有名詞)ティル・オイレンシュピーゲル=15,6世紀 に出来た同名のVolsbuchの主人公で農民出身の無類のいたずら者。シャルル・ド・コス←全然解らず。(続く)
posted at 18:31:33
Shunsei
『こほろぎ嬢』CD84~75:
中学の同窓会の役員としての役目の打ち合わせの日が真ん中にあった。
資料作成の必要あり-『こほろぎ嬢』が何にも書けなかった日々。
というのは、弁解。
川崎賢子氏の著書について行けぬ不甲斐なさを思うのである。
ねじパンのチョコを舐めるこほろぎ嬢食卓二つを隔て勉強する黒衣婦人を発見。
彼女を産婆学の暗記者たる未亡人だと信ず。
片桐夕子がせりふなしの存在感でみせた役。
この女優さんについては浜野佐知監督が”この人は巧い。
歩いてくるだけで圧倒する”と唸ったという。
どうも春声@、川崎賢子さんみたいな高級な解釈よりも映画ネタで迫る”片桐夕子”
の黒い服だとか”浜野監督”が唸った歩き方の方に親近感を感じるのです。
尾崎翠を文学的にアプローチするという試みは挫折したようでもあります。
暁けがたのこほろぎを踏むシーンである。
08/27~08/30『こほろぎ嬢』CD88~85:
4日間Hop,Step,Jump&Omake:
映画サークルの2010年の第4回例会の上映が日曜日に行われたということで余裕なき4日間--こんな言い訳のもと、Cout Downを4つまとめてしまいました。
例会に上映した映画というのは2007年のハンガリー映画『人生に乾杯!』。
年金が少なく税金が支払えぬハンガリーの老夫婦。
といってもそれ程の切羽詰まった緊迫感は全くないのが不思議。
<夫の本が差し押え>という事態に耐えられなくなった妻が差出すダイヤの耳飾。←hop
黙って見ていた夫、夜中意を決し昔所持していたトカレフをごそごそと探し出す。←step
郵便局の窓口で、ハンカチに隠したトカレフで局員を脅し現金の強奪に成功。←jump
2人仲良く逃避行、若きカップルも巻き込んで。昔をたどる苦渋の記憶。
結末はいかに-?
ラスト・シーンの分析に2つの説がもちあがる。
つまり、老夫婦の行く末や如何にという問題。
<画面の写実どおりに常識的な判断、炎上し風に散る>=我輩の説
<とんでもない、そんな素朴な作り現代風に非ず今頃何処かの海辺よ>=若い人達
はてさて、どちらの説が正しいのか!
つまり、<老夫婦はなにかを得たのか彼らの人生の華麗な終末時に!>
こほろぎ嬢図書館に行く。
詩人W・シャープ氏の本を調べる。
W・シャープ氏とF・マクロオドの関係にたどり着く。
W・シャープ氏と友人のやりとりを再現す。
臨終のW・シャープ氏を棺の中に見る。
F・マクロオド嬢の面影をシャープ氏の貌の重ね合わせる。
”もって瞑すべしお2人の詩人たち”このようにして--
--こほろぎ嬢は図書館の地下室に向うのでありました。
つまり、<こほろぎ嬢はなにかを得たのか彼女の心の中にその時に!>
映画『こほろぎ嬢』の中に英国詩人W・シャープ氏に対し文学仲間の友人が2人で、シャープ氏を問い詰めるところがある。つまり”シャープ氏の恋人、フィオナ・マクロオド嬢を自分らに紹介しろ”と、2人してシャープ氏に迫るのである。
それに対して、シャープ氏の文言は、いかにかと言えば:
「ああ、懶き(ものうき)のぞみを聞くものかな。まくろおどは、もう、旅に行ってしまった。嬢は、もはや、余の身近にいない。昨日の晩景、大空の恒星を見ていた云々」--とけむにまく。
つまりシャープ氏はまくろおど嬢という恋人を隔離したいのだ。
それじゃ当然、すまぬのが件の友人連2人。
”なんたることか、貴兄はそのようなごまかしで逃げようとする。恒星、遊星、宇宙のことなどどうでもよろしい。おのろけを半分だけ言って、あとは天文の事に逃げてしまう。余等の望むところは地上のことがらである。なんたることか。”というわけである。
ここは映画『こほろぎ嬢』の中で私的には一番面白い情景である。
こんな調子で10日間が経過していくのであれば90日間なんてその9倍に過ぎぬではないか。まったく単純なものですぐゼロになろうではないか。よもやグズグズしては居られぬ。
”ふぃおな・まくろおど嬢は、よほどみめ美しくけざやかな女詩人におわすという。
しかるに貴殿は、余等友人に対してまるでやぶさかである。まくろおど嬢を一度たりとも余等にひきあわしたことがない。今日こそ余等は嬢の風姿に接するつもろである。
この望みのとどくまで、余等は何時間でも待つことにしよう。”
実に尾崎翠ってセンス抜群だと納得。ここをせりふにピックアップしたシナリオもなかなか素晴らしい。演出は流石キャリア充分。そしてそして演技絶妙、黒色3人男、まことにもって輝かしきあのムードと”絵づら”(川上未映子氏の表現を援用)を観賞したことです。Shunsei
8/25はCount Down 90なんです。続けて2本91&90書きます。
川崎賢子”砂丘の彼方へ”:「漫想家的彷徨」は、はたらきかけつつ見る、そして見ることを逸脱してなおはたらきかける。見ることから聴くことへ逸脱し(-略-)声とメディアに関心を抱く。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚-五感と呼ばれる各感官は、いったんばらばらにされる。
諸感覚機能の交換と再編が大規模に行われる。聴覚で捉えられるべき対象を視覚で捉えたりする。聴覚で捉えるべき対象を嗅覚で捉えたりする。
<ここら辺を含めて極めて難解です。言葉が硬いからかなあ> Shunsei 呟く。
諸感覚の解体、機能の交換、再編と再統合は、「漫想」家としての「彼」と対象としての映像化された「役者」の身体のありように相関する。
<難解 難解 なんかいな?> ← > 自分 ふざけるな!
Shunsei の呟きとしては、<これほどつきつめての分析はやらない、感覚的好き嫌いで仕切ってしまう。> 失格でしょうか?
このような好き嫌い感想文は映画を語る場合。
失格しても吾行かん。フライング but flying freely in the high above sky.
- to be continued. -
「隠遁」から「漫想」へ
尾崎翠が考えていたことを川崎賢子氏が解り易く解き明かす:
著書「砂丘の彼方へ」から:
映画館での「隠遁」は、瞑想を超える「漫想」という生の技法をともなう。
「漫想」とは西洋近代的な「体系」の思想を超えうる方法なのだと指摘したのは藤田省三である。(←藤田省三:丸山眞男の弟子で、寡作ではあるが丸山学派を代表する戦後を代表するリベラル派知識人。天皇制国家の構造分析は戦後思想史において画期的意味をもつ。)
「遊民は<体系>を、問題としないし、尾崎自身、体系の時代ではなく、「漫想」の時代だとはっきり言っている。そういう方法の自覚がある。
尾崎自身の文章「映画漫想」からひいてみよう:
「漫想とは、丁度幕の上の場景のやうに、浮び、消え、移ってゆくそぞろな想ひのことで、だから雲とか、朝日のけむりとか、霧・影・泡・霞なんかには似てゐても、一定の視点を持った、透明な批評などかたは遠いものだと思ふ。(略)
幕の上にちらちらする影の世界に、心臓までも呑まれてしまったのだ。
幕に向かった漫想家は、画面を、もう出来てしまってる一つの世界と見るおめでたさを持ち、そぞろ心でその中を彷徨するだけで、その世界の成り立ちには無神経だ。
次に続く文章は翌日(08/25)のTwitterに載せます。Shunsei
、
伊勢物語(三十八段) むかし紀の有常がりいきたるに 歩きて遅く来けるに よみてやりける
A:「君により思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋といふらむ」
<あなたによって知ることができました。この早く逢いたいという待ち遠しい気持ちを世間の人は恋というのでしょうか。>
返し
B:「ならはねば世の人ごとになにをかも恋とはいふと問ひし我しも」
<私には恋の経験がないので何を恋と呼ぶのか世間の人に尋ねてきたほどです。
その私の方こそあなたのお陰で今わかりました。それなのに私に教はっただなんて
とんでもありません、恋にかけては あなたには敵ひませんよ。>
業平の妻は紀有常の娘です。 紀有常のところへ行った男とは業平でせう。 両方とも戯れの歌です。
つまりAを詠んだのは在原業平。 では返しにBを詠んだのは誰だろう?
女性だから、業平の妻つまり有常の娘?
この”歌の詠み交わし”に”戯れ”の意図があるのだろうか?
またAとBの詠み交わし関係がウィリアム・シャープ氏とフィオナ・マクロード嬢の間に詠み交わされるその関係に、なにかしらの近似、相似はあるのだろうか?
映画館の闇は、映画という新しい風景の登場を準備し、囲繞する(囲い、まとうこと)。
闇への「隠遁」なくして「驀進」は目撃されることがない。
スピードの極限をいう「驀進」、それはモダニズムの美学のひとつであり、最新のメディアである映画のめざすところのものでもあった。
映画館に足を運び、その人工的な闇の中に身を潜めること、みじろぎもせず映像の「驀進」を眺めることは、モダニズムにおける新しい「隠遁」の形だ。分裂と交錯。
「驀進」の中に「隠遁」があり、「隠遁」の中に「驀進」がある。そんな錯綜体であるから、「驀進と隠遁」いずれも、それと定かにはとらえがたい。とりあえず眼に映るのは映画の光と影の階梯でしかなかったりする。
”驀進と隠遁”の章は続く:
尾崎翠における「歩くこと」と「見ること」の習慣を一変したメディア、映画について言及する。
翠は、叙事文の手法による美文・短文のこころみから情景・心象風景の表現を極限化し、再編し、移動する世界把握の座標軸としての身体、身体ともに移動するまなざしによる微分的な世界認識および風景の表象という段階に到達した。
その裏面には、眼を閉じて自身の影を想い、意識と無意識の境界を探り、現世にある個を超える時のうつろい、自然の変化、生死へとひらかれる象徴主義的文芸の徴が記されていた。 -略-
映画館では誰もが暗闇の中にじっとしていなければならない。散歩は、眼の散歩しか許されていないのだ。にもかかわらず、だからこそかえってか、映画を語る場合に、「歩くこと・移動すること」のイメージは過激なものになる。再統合に先立って、分裂の認識を徹底することが要請される。
漫想的彷徨-驀進と隠遁なる項を設けて川崎賢子は続ける:
歩くことをキーワードに、尾崎翠を読み直すと、大きな転機が1920年代の終わり頃にあることに気づく。
いつのまにか、そのテキストは、散歩嫌い、外出嫌いについて、語り始めるのだ。
そうして、散歩嫌いは人間嫌いという、もうひとつの物語とむすびつく。
習作期の翠が、短歌をたしなみつつ、「情景」や「心象風景」の表象に長け、情調をたたえる文体をめざしたのに対し、「恐怖に近い嫌悪を持っていた」「体は常人が散歩しただけの運動を得ることが出来た」といった佶屈した方法的文体は、そのつど読者をつんのめりがちに立ち止まらせ、そのつど文体そのものに対する感慨と笑いを引き出させる。
だがその底にはどこまで掘り下げても無根拠、ナンセンスな悲哀がたたえられている。-略ー
生硬な翻訳文体を模倣したかのような文体、あえてこころみられる悪文のパスティーシュ(文体模倣)である。
川崎賢子は続ける:歩くことについて
眼を閉じる時、瞑想する者の意識に映るのは、自身の存在の影である。
境界線に立ち、境界線を歩みつつ見出される時空、そこに展開する様々な現象。
瞳を閉じ、瞑想のうちに、あるいはまどろみのうちに探られる(私)の影、死と再生の幻影。
遊行と瞑想は、宗教の境地と宗教によっても救われぬ境地としての文学領域との、境界に広がるいとなみだった。
自然のなかを歩みつつ書く方法と幻視の方法とが手を結び、尾崎翠は小説への道へと導かれる。しかしながら瞑想が直感させる(私)の影は、まだ表象の世界のものではない。
小説は、書くことの意識化を要請する。
川崎賢子著「尾崎翠 砂丘の彼方へ」より:
正面から受ける風と背後から吹きくる風の違いを散歩者は感じとる。
起伏は、時空の座標軸から迷いでた(私)のあてどない歩みに、ささやかな変化と差異、そうして方向性をもたらしてくれる。
-略-「おもかげ」は(私)の内面に棲みついているだけではない。
むしろ他者の「おもかげ」とは、(私)の外部に、世界の方にあって、風とともに吹き寄せられてくる。
その世界もまた(私)の心身に見合って、「野」と「風」と「雲」といった、さして刺激的であるというのではない、固有名の冠せられることのないやや抽象化された「風景」の様相を呈している。「おもかげ」は(私)の内と外との境界をたやすくすりぬけて、(私)をも非実体的な「おもかげ」に変えてしまいそうである。
げんみつにいえば、この「おもかげ」は他者のものとして、(私)から分離し、外在する世界にへだてておくことがむつかしい。それがやっかいである。
(私)は恋をしていて、だから、恋しいひとの「おもかげ」を抱かずにはいられない。
追い払うこと、忘れることは出来ない。
しかも(私)は失恋をしていて、だから「おもかげ」よりほかの恋しいひとのすべてを喪失している。
その空虚な心に外部が浸透してくることをさまたげる余力すらない。
翠の詩、翠の”歩行”-歩くということについて 川崎賢子氏「砂丘の彼方へ」:
テキスト「歩行」の風景は、東京と鳥取との往還のなかで、虚空に紡ぎ出されたものではないか-略-。偏在する境界性であるがゆえに抽象度の高い風景となりえているのだろう。
「おもかげ」とは、恋人のおもかげ(あえて虚実を問わない)と、故郷の固有名「面影」との掛け詞としてのダブルイメージ、重層性をはらむものだろう。
心を占める悲しみ、悲しみをひきおこす片恋のひとのおもかげを忘れるために、野を歩む語り手。
「風とともにあゆみ」という、散歩を通じての身体の希薄化、流動化は、歩く身体/書く身体イメージとして独特のものだ。歩くうちに、身体は風に同化し、風に浸潤され、風にひらかれ、「おもかげ」と「風」の受け渡しをさまたげることもなくなる。
-略- かりにその「おもかげ」が「風」のなかにちりぢりに四散し消失するなら、(私)はやすらかに世界のうちに溶解することができるだろうか。
それは詩句のなかに夢みられるにすぎない。テキスト「歩行」は、どのように歩こうとも「おもかげ」の消滅は不可能な夢であることを語る。そこから散文が、小説の可能性がはじまる。
キネマ旬報外国映画ベストテン第10位に入ったのが、1950年(昭和25年)。
この年邦画のベストワンが『また逢う日まで』 外国映画は『自転車泥棒』と
いうから古い時代ではある。図書館から借りてきて観る。
クラシックの名作を1本制覇。ウィリアム・ワイラーの傑作である。
アカデミー賞主演女優賞をオリビア・デ・ハビランドが獲得。
相手役が2年後、『陽のあたる場所』に出演するモンゴメリー・クリフト。
彼は同じような役柄で成功するその前触れでもあったのであろうか。
野望に燃えて上流社会に接近する様がすごい。
ラルフ・リチャードスンはキャロル・リード映画でおなじみ。
原作がヘンリー・ジェームズの中編小説「ワシントン広場」ということ。
『陽のあたる場所』のリズ・テーラー、『女相続人』のオリビア・デ・ハビランド、
前者は少々甘ったるく感じた。
2年前のこちらの映画、監督の体質でもあろうか、俳優の持ち味なのか、
すごく渋くて重厚。
オスカー受賞も至極もっともだと思う。名作の名に恥じない。
今頃やっと捕まえた。
福岡国際大学の先生がミステリーがお好きなこともあって何年か前に数人でチームを作り、「地元に場所を設定したミステリー小説」を集め、分類されたという。そんなお話を聴く機会があった。
その時に”面白いですよ”と薦められたのがこの本。
うかつにも箒木氏が九州大学にお勤めであることは、新聞の情報などで知ってはいたが作品に接することもなくうち過ぎていた。読んでみて驚きました。
精神病院の中で突発する事件が山場に設定されている。
普通なら、かなりすさまじい人物群が織り成すすさまじい事件の描写だと予想するでしょう。ところが--なんです。
あたたかい。作者が登場人物に注ぐまなざしと、従って彼ら彼女らの言葉や、行うことが冷たいとか、激しすぎるとかいった感触がまったくないのです。
ミステリーにありがちな、展開を早く追いたくて、とばし読みになる傾向もなく、きちんと読み終えました。
16年前に箒木氏がこんないい小説を書いていたことに今頃気がついた次第です。
ドイツ映画をよく観るこの頃。本日3回目くらいの『会議は踊る』観賞。
クラシック映画の良さは何回目かにして解ってくるものらしい。
以前最初に観た時は、ウィーン会議という背景のものものしさに頭を占拠されてしまって、ナポレオン、メッテルニッヒ、はたまたロシアの皇帝等のことばかりが気になって、この映画の”流麗さ””楽しさ”を感じ切れなかったんだろう。
自分の映画鑑賞歴の中では上位にあがってきてなかった。
このたび、”ドイツ映画の歴史”という講義を聴いた折にこの映画が話題になった。それで探したら2つめの図書館で見つけ出した。
実に素晴らしい。
ウーファ1931年ドイツ映画トーキー初期の製作
エリック・シャレル監督 プロデューサー:エリッヒ・ポマー
ウィリー・フリッチ リリアン・ハーヴェイ コンラート・ファイト主演
音楽:ウェルナー・ハイマン1934年公開 キネ旬第2位。
「対談集 銀幕のスタアたちの微笑」白井佳夫著
日之出出版刊
ISBN978-4-89198-133-4 \2800E
映画評論家白井佳夫が迎えるスタアは女優5人 男優3人
岸恵子 若尾文子 香川京子 八千草薫 吉永小百合
池部良 高倉健 勝新太郎
流石、貫禄ありは岸恵子。香川京子が整然たる生真面目さ。
年齢が若くなり若尾文子、吉永小百合あたりの活発さ。
読者の私が男のためだろうか、総じて女優さんとの白井佳夫の対談が面白い。
大きな写真がB61枚であったり、見開きで掲載してあったりそれもきれいな写真。
昔も今も俳優の写真を掲載する雑誌類を読んだりする経験が自分としてないだけに初めて見る写真が数々あり、貴重な読書体験となった。
『ツォツィ』Count Down 12 すべての武器を楽器に!!
” すべての武器を楽器に ” は 続きます。
” すべての暴力を踊りに ” ” そうなれば世の中 どんなに素敵だろう ” --と。
福岡にもアフリカの人たちがいて、それに日本人も加わってでしょうおそらく、アフリカンアーティストの結集したチームがあるんです。今まで考えてみたことのないことでした。
今度の5月末の5/30(日)映画サークルの例会として上映するアフリカ映画『ツォツィ』は1回目11時と2回目14時の2回上映です。
14時~の第2回目上映の前に上記のアフリカンアーティストの人が何人か来て頂いて音楽を聴かせてくださるのです。
ここのHPを訪問しましたら、このチームは大人気らしく近く佐世保や嘉穂劇場でも公演が予定されているようです。
このチームのホームページでこれを報じているキャプションがまさしく” 素敵 ”なのです。
” すべての武器を楽器に すべての暴力を踊りに ”
” そうなれば世の中 どんなに素敵だろう ”
『ツォツィ』Count Down 13
読書感想文「カラシニコフ」松本仁一 朝日新聞社 2004年刊
映画『ツォツィ』を観ていると銃の撃ち合いがあちこちで見られる。
ツォツィ青年も派手にぶっぱなすところがあったのではなかったか。
それほど多くの銃器(小型火器)の使用が都市部はじめアフリカは各所で使用されているようです。
ピストルと言えば、日本国内では格別に規制が厳しいから、我々は普段警察官が肩からなのか、腰になのかつけている様子すらよくは知らない。時折観る外国映画での銃撃戦で見るくらいだろう。
以前観た日本映画に”トカレフ”だったかそんな題名の映画を記憶している。
ロシアで製作されたピストルが映画に出てくる”トカレフ”だと今でも覚えていた。
そのピストルの製作者だったんではないかな、トカレフというのは。要調べ。そんな中、次回の例会『ツィツイ』で何冊か読もうとしている本の中に「カラシニコフ」という著書があった。トカレフをすぐさま想起した。銃の名前ではないかなと思いつつ読み始めた。
”あたりー”でした。こちらもロシア製でカラシニコフは製作者の名前。自動小銃です。
構造がすごく簡単でそれだけに故障が少なく使いやすいという定評が生まれ世界各地の紛争地に出廻り、使われたという。この本では主にアフリカが取材されていて新聞記者であった著者の現地からの生々しいレポートを読むことが出来る。アフリカもアパルトヘイトが一応なくなったとは言え、その後の国造りにおいて、成功した例、失敗した例など様々な状況がみてとれる。
「解放運動が成功し国が独立すると殆どの国で社会主義立国を宣言する。
しかし国家経営が未熟で一党独裁のもと腐敗が進行する。
冷戦構造の終結で東西からの援助もとまり、経済がたちゆかなくなる。
そうした新興国家中、急速に壊れた国家がいくつも。「失敗国家」だと著者は言う。
そんな事例の数々を庶民層、低年配層の実例に密着して伝える本書でした。
「銃の密輸、裏に必ず国家あり」とも。政府指導層が”治安や教育問題”に無関心で、利権をめぐる汚い取に明け暮れている。
そうした国で子どもの時から自動小銃で武装した”子ども兵”として闘争に狩り出される。
”武器は要らない世界にしなければ”と思う。
Count Down 14 の本日は気持ちよく晴れた5月の日曜日。
昼から地元の由緒あるお寺で開かれた文化団体の会合に出席。
あとは外出せずパソコンと読書。
アフリカ関係の書物として借りた本「MASAKANE 南アフリカの新しい風」を読む。
当然、MASAKANE ってなんだろうと思って手にとっていた本。
ページをめくると書いてありました。なんと、それは---
マサカーネとはズールー語とソト語で”みんなで力を合わせよう”を意味する、新生アフリカのスローガンです。Let's build together, Now と英語で。著者はカメラウーマンとして有名な吉田ルイ子氏。大月書店1995年刊。
この中からネルソン・マンデラの言葉をひとつ:We forgive but never forget.
これは最近のアメリカ映画『インビクタス 負けざる者たち』にも出てきた言葉。
子どもたちの写真が素晴らしいし女性たちがきちんと清潔そうな服を着ている。気持ちのいいフォトエッセイという感想だけでは終わらない、著者も解説者も南アフリカが直面している困難な社会情勢を、単なる見聞記に終わらせていずに極めて学究的な態度の執筆姿勢に終始している。社会情勢の分析が本格的なので少々硬い感じを受ける読書体験となった。
アフリカ映画は、圧倒的に数が少ない。たまに日本にやってきて公開されても
話題になる率は少ない。ご多聞にもれず、次の福岡映画サークル協議会の例会
『ツォツィ』も観た人が少ない。この作品を例会にとりあげることになった時にも、
既に観たことのある人は?ということを会議出席者に問い合わせるもただ一人。
かく言う私は、たまたま、何かの用件で京都を訪問した際、京都シネマにて公開
されていることを、情報誌で探し出し、京都シネマを探して観に行きました。
あと15日後に、『ツォツィ』の上映があるということで、一応会員さんには周知済、
一般の方にも来て頂かないと財政的にたちゆかない映画サークル協議会なので
毎回恒例のチラシ配布を一定限やってはいますが---。
なにか出来ることはないのか、と思いがしきりに空転する中で、なにかアフリカ関係
の本でも入手できれば読んでおこうとの気持ちになりました。
アフリカ映画には白石顕二さんという研究者がおられることを知っていたので
インターネットで検索すると、なんと残念なことに昨年おなくなりになっています。
残念です。
他になにかとnetブラウズしていくうちに朝日新聞の記者さんだった方の著作がある
ことに気がつきました。岩波新書に入っているので丸善に問い合わせましたら在庫
あり。今から出かけて購入してまいりましょう。
アフリカ映画祭のことなんかも知りたいので、本探しをもう少し続行いたしましょう。
Count Downを11迄やって、それからがグズグズと腰が崩れてしまいました。
お蔭様をもちまして去る3月28日、この中国映画の例会『胡同の理髪師』上映の
日程を無事終えることができました。以上簡単に報告致します。
次の例会は2010年の第3回例会のアフリカ映画『ツォツィ』です。
5月30日(日)に、同じ会場-福岡市総合図書館映像オール・シネラ-にて
①11:00と②14:00の2回上映で行います。
アフリカ映画は割と珍しいと思います。是非御来場、ご観賞下さい。
『胡同の理髪師』Count Down 13~1
①映画『秘境モォトゥオへ』という作品--(A)と
映画『紅い鞄 チベット、秘境モォトゥオへ』--(B)はどう違うのか?②秘境 チベット、モォトゥオとは何処にあるのか?
答え:①(A)は映画祭で上映された際の題名。 (B)は一般公開の際の題名
つまり内容は同一作品でした。この例はわかりやすい例ですが、なかには
全然異なる題名になる時もあるから注意が必要かと思います。
②ヒマラヤ山脈が西から東へ横たわる。チベット自治区はヒマラヤの北側。
そのヒマラヤ山脈が東の端で中国四川省や雲南省あたりへと途切れて
いくあたりに、そのモォトゥオ(墨脱)は位置します。
『胡同の理髪師』Count Down 17~14
中華人民共和国チベット自治区ニンティ地区墨脱県
中国とネパール、ブータンとの両国境近くにヒマラヤ山脈が走りチョモランマや
カンチェンジュンガなどの名だたる高峰がつらなる。
そのヒマラヤ山脈が東の最端でとぎれるあたりにまさしくモォトゥオは位置。
ポタラ宮、ラサなどのチベットのよく聞く地名が近くにある。
西方遠くにはカイラス山なども。
社会的関係で言えば、チベットが中国四川省や雲南省と接するあたり。
雲南省はさらに南にくだればミャンマーやラオスに接している。
北方遠くには崑崙山脈を隔てタクラマカン砂漠、さらにモンゴルへと地図は黄色と
茶色ばかり。
モンゴルの映画監督がどうしてチベットの高山の奥に取材して映画を撮影したの
か。その問題でいえば、モンゴルとチベットの関係はかなり深いものがあると、
なにかで読んだことがあります。どういう風に関係があるのかはよく解りません。
『胡同の理髪師』Count Down 21~18
ハス・チョロー監督のもうひとつの映画
『紅い鞄-チベット、秘境モォトゥオへ』心跳墨脱 2003年 98mins.
出演:スン・ミン ボオ・ホン パイマーチュエツァ
中国最後の秘境、チベット自治区の山奥、墨脱(モォトゥオ)。
その過酷な実情を知り私財をはたいて現地に小学校を建てた実在の老人。
その老人へ取材に来た上海の新聞記者は、老人を診察するために来た女医、
地元の校長などと合流、彼らと一緒に墨脱を目指しての旅を始める。
ただ荷物を背負って歩くだけの旅。そこには数々の危険と困難があった。
そびえる山々の稜線。行けども続く険しい山道。
たまに出会う山中の部落では、赤ちゃんの出産に立ち会うことになる。
近隣に医者がいようはずもない。一行中の女医さんも出産は今まで未経験。
ようやくの思いで目的地に近づき、やがて断崖絶壁の道へとさしかかる。
下には泡を噛む激流。背中の荷物が重くのしかかる。スリップ。
『胡同の理髪師』では90何歳かの老人の実話。この『紅い鞄-チベット、
秘境モォトゥオへ』の話の主人公もやはり70歳に近い老人の実話。
ハスチョロー監督自身を、2004年の映画祭にやってきた福岡の上映会場で
見たことがあるが、監督自身は、野球帽を無造作にかぶった体格のいい壮年。
どうしてこんな老人を対象にするんだろう?といささか不思議な感じもします。
語録-14
葬儀社に問い合わせをした時に「故人の業績を語る文章が500字あればよい」
と聞き、チン爺さん”わが生涯を語る”とばかりにラジカセ相手に取り掛かる。
「わたしは喧嘩をしたこともない、金を借りたこともない。
相手を問わず接してきた。」
「3人の女と関わり合いがあった。最初の女との間に一男をもうけた。
この長男には手をやいた。」
「人間というものは偉そうにしていては駄目だ。」
「偉くなっても、人を受け入れなければ駄目だ。」
「年をとると、誰も死を恐れるようになる。」
「自分は恐れないようにして、普通にしておきたい。」
語録-15(最後)
この映画の中で中国の現代史中の年度がチンさんの言葉として出てくる。
「西太后の死後2年目、中華民国成立の年」この年ってチンさん個人の年譜上
どういう時だったんだろう? 世界年表にて調べてみました。
生まれた年でした。例会の時に観て確認してみます。
1912年が中華人民共和国成立の年。チン爺さんの生年。1912+100=2012
この映画の製作が2006年、当時チン爺さん96歳。現在2012年で当時から6年
経過。96+6=102。故に計算は合います。
現代中国の歴史と100年と共に働いてきたチンさんということです。
黒い猫が出てきます。黒猫が”チン、我生涯”の録音テープともつれ合うショット
その際の爺さんの表情がいい。
映画の中で秀逸な場面だと私は気にいっています。
チン爺さん語録集
語録-11
肖像画を描く画学生との会話
「うっかりウトウトしてしまってすまないねえ」「絵が出来たんなら見せてくれよ」
「あまり似てないねえ」 これに対し画学生が”絵は見えたとおりに描くものでもなく
内面を描くことに意味があるんです”みたいなことを言う。
「成る程ね、絵の道も奥が深いね。これタバコ代にでもとってよ。」
ここでは逆にモデルを貰う。「気をつけて」と言って別れる。
語録-12
仲間との世間話
「今の社会は競争が厳しい、頑張っている我々の息子世代の厳しさも考えてやらなきゃあ」
語録-13無言電話(ただし途中から)
葬儀社に葬式の式次第とか料金設定とかの問い合わせ公衆電話からかける
「誰もまだ死んでないが、サービス内容を知りたい」
えんえんと葬儀社の説明が続く、チン爺さん受話器をそっと置いてボックスを出る。
隣にはいちゃつく若い男女、やがてカメラは上方にあがりフートンの細道を俯瞰。
音楽は中国風メロディーが短く入る---ここいらの描写なかなかイイノデス!!
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